2019.03.09
僕はこの島に生まれ 山奥の小杉谷分校で 小学校3年まで育ち 種子島、鹿児島本土と 点々と父の職場が変わる度に 学校が動いた 父の他界後 母はまたこの島に帰り 30年程の時が流れた 僕の古里屋久島には 言葉では表せない 大自然の美しい教えがある 卒業直前の学院生の切望に答えて 荒波を乗り越えて 島の息吹きを楽しんでもらった 八木君のバイオリンの音色は 美しい島の物語の歴史を 語るかのように流れていった 屋久島よ永遠に