KONA WIND 〜 iBS外語学院長・南徹ブログ
明治のはじめ
薩摩の当主
島津忠義は
ロマノフ王朝皇太子
後のニコライ二世を薩摩にお招きし
歓待した
忠義公の大歓迎は
ニコライの心に素晴らしい感動として残った
その後神戸に向かい京都見学
京都から琵琶湖の帰り道の大津市で
警護の警官に切りつけられるという
大事件が起こった
大津事件である
惨事を聞き付け
三日三晩でお見舞いに駆けつけたのは
島津忠義であった
ニコライの日記の中で
日本人の侍の中で
一番の友愛を感じたのは
忠義であったと記録されている
そして
1918年7月17日
ロシア革命により家族全てとともに
エカテリンブルクにて処刑
ロマノフ王朝の滅亡である
そして100年を超える歴史が流れた
薩摩の7人の侍の一人として
ロシアのクレムリン宮殿など
日露友好の歴史の架け橋として
薩摩とロマノフ王朝の友好を目的に
ニコライ二世の巡礼にお招きを頂いた
その時依頼
毎年照国神社近くの丘の頂き
城山の麓にある
ニコライ二世の記念碑に
献花を続けている
今回は
在院生47期学院生の数名と共に
雨上がりの丘を登り
花を手向けた
国境を超えた友愛に
華麗なロマノフ王朝の夢の姿が見えてくる