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KONA WIND 〜 iBS外語学院長・南徹ブログ
1914の桜島大噴火の火炎噴煙地獄
の真っ只中におられたお祖父様
お父上の満州上京
年齢81歳の満州生まれ
少年期の戦中戦後の修羅場
九州青年の船の団員として世界を見る
古里鹿児島のためにと
政治の世界へ
100ヶ国近く旅を重ねた
グローバルな視点を持たれる
秀才の弁士
御次男拓君の交通事故による
突然の他界
40年間の歴史に名を残す市議会議員
叙勲旭日小綬章授与
竹之下隆治氏の壮絶な歴史が本になった
鹿児島の歴史が
走馬灯のように流れていく
僭越ながら
私も御著の片隅を汚させて頂いた
ぜひ御一読願いたい
僕が学院を創立したのは41年前
千数百名の卒業生が
多くの国々に飛びって行きました
戦後取り上げられてしまった
旧制中学校
旧制高等学校の
情操教育・形而上学・道の学問
詮議が教える対話の学問
戦勝国から奪われてしまった
日本と言う国の背骨の学問を
英語で学べば
何かが見えるかもと始めたのが
僕の信念でした
そんな歴史の中の1人
学院の誇り
ミーコこと西橋瑞穂さんが
鹿児島県立甲南高等学校の校長として就任
嬉しさでバンザイ*\(^o^)/*と叫んだのも
歴史の1ページとなりました
先月の3月で退職
コロナの中
派手な事はできませんでしたが
ささやかに
母校甲南を守って頂き感謝を込めて
花束の贈呈をいたしました
退職ではありましたが
ミーコの舞台はこれからです
心よりのエールを贈ります
神話の日の考案者であり
発起人代表の石堂さんの
努力が実った一日となった
笠沙の町には
神々の足跡がある
足跡を守る守り人がいる
ヤオロズの神々の足跡を守るためには
ヤオロズの守り人が必要だ
この思いを形にしようと
結束総会が発足した
笠沙の町の有識者はもちろんの事
塩田鹿児島県知事
たくさんの県議会議員
町の郷土歴史家東川氏
歴史学者原口泉教授
観光プロモーター古木氏と
県下の著名人大集合の一日となった
恵比寿か大国主か田の神様か?
招待不明の東川氏
園田氏が扮する瓊瓊杵尊
米丸さんは木花咲耶姫
岩重さんは石長姫
リカさんの巫女のようなMC
そして最後に
天女が舞い降りて来たような
透明の歌声はユリさんからのプレゼント
感動に感動を生んだ胸打つ発表となった
学院第37期卒業生ベッキーこと
田野辺さんが
日本政府観光局(JANTO)
局長賞を受賞した
鹿児島を訪問された
諸外国のゲストの皆さんへのボランティア通訳
カンボジアの子供達への献身的なボランティア
田野辺さんの博愛は
簡単に真似できるものではない
心から
賞賛の拍手を贈りたい
卒業生がお母さんになって帰ってきた
2021.04.02
32期卒業のスーザンこと白井(旧姓君野)志織さん
38期卒業のリリーこと濱崎(旧姓兜坂)美乃里さん
一生懸命にお母さん奮戦記
お母さんの愛をいっぱいに受けて
子どもたちが輝いている
新しい時代を創っていく子どもたち
母に成った彼女らの誇らしい顔が美しい
お母さんバンザーイ\(^o^)/
今日から4月が始まる
県外からの卒業生の殆どが
古里に帰って行った
鹿児島に残る卒業生からの
サプライズ
一年間ありがとうと
綺麗にデコレイトされ
感謝のメッセージが書かれたケーキ
ケーキの上では花火がパチパチ
溢れんばかりの卒業生諸君の
笑顔また笑顔
教師冥利であった
屋久島の隠れ家にも春が来た
オオタニワタリの子供達
モンステラのおじいちゃんにおばあちゃん
ランの笑顔に
ツツジの赤面
僕の憩の隠れ家に春が来た
アメリカ・東京・大阪・福岡と
留学や進学
そして就職
海外に
大都会にと
大きな夢を抱いて飛び立った卒業生達が
第二次世界大戦の時の疎開さながらに
帰ってきた
オンライン授業
企業崩壊
ワクチン接種も???
この戦いが
オリンピックまでに終息することを祈りながら
それでも愚痴る事なく
同窓会に喜声を挙げていた
未来を背負って生きている卒業生諸君
逆境には強い
彼らには
挫折と言う言葉はない
コロナも踏み台にできる力がある
加速していく若者の知性
過去五十年の流れを振り返ると
毎年毎年若者の知性は
何十倍
いや何百倍のスピードで
加速進化している
大人が教えたいこと
子どもたちが学びたいこと
ものすごい勢いで
格差が広がっている
鹿児島市青少年研修センターにて開催された
鹿児島市教育委員会が主催する
創志塾同窓会にお招きを受けて
胸に突き刺さるほどの
衝撃を受けた
教育が変わる
大人が変えるのではなく
子どもたちが変えていく
そんな衝撃だ
大人の固定概念で
旧態依然の教育指導をしていくと
子どもたちの未来の知性格差に
天と地ほどの隔たりが生まれる
我々大人の
教育に対する覚悟を知らされた一日と成った
青空の澄み切った春の風で
心が洗われたような一日と成った
老いて学べは則ち死して朽ちず
2021.03.13
61歳の若さで急逝した
大の友人
大坪徹氏の記事が
11日の南日本新聞の南風録
掲載されていた
僕が訪豪していた時
氏からの突然の国際電話
帰国したら是が非でも時間を取って欲しい
これが最後の声となった
最後の最後まで
誰かのために
地域のためにと
ボランティアの申子
最後の思い出は
フィンランドの著名な写真家
キャロラインとリッタ氏の作品
大自然と一体化する大坪氏
こうして氏は溝辺の森に帰って行った
「老いて学べば則ち死して朽ちず」
まさに氏へのメッセージである